九州支部では、令和1年10月11日(金)・12日(土)、熊本県天草市において令和1年度現地研究会を開催した。今回の現地研究会では、上田陶石合資会社の船橋さん、天草市観光文化部文化課の中山さんのご協力の元、天草陶石や下浦石の採掘現場、石材資源を利用した構造物、旧炭鉱など興味深い現場の訪問を行った(図1)。
図1 天草市における巡検地図 |
天草陶石の採掘現場は近くの駐車場から徒歩で15~20分ほど山奥にあり、参加者の皆様も森林浴を味わいながら各々山道を歩いて、採掘切羽に向かった(図2)。採掘切羽では、陶石鉱床の採掘箇所やおおよその地質分布の説明があった。こちらでは、重機を用いて陶石を砕き、ダンプトラックでふもとの貯鉱施設に運搬し、陶石の洗浄を行っていた(図3)。洗浄された陶石は、地元天草の高浜焼だけでなく、佐賀の「伊万里焼」や「有田焼」の原料としても供給されているそうである。
﨑津教会は、2018年に長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産として世界遺産登録された(図4)。教会の中は写真撮影が禁止であったが、畳敷きであることが特徴であり、世界遺産登録後も全国より観光者が訪れているようである。
魚貫(おにき)坑跡では、海岸沿いの道なき道を進んだ先に、草藪に隠れたホッパー跡を見学した(図5)。魚貫炭鉱は無煙炭を採掘しており、燃料炭として安定した生産を行っていたが、戦後エネルギー革命の影響により1975年(昭和50年)に閉山となったようである。ホッパー跡の近くに積出港として使用されていたと思われる埠頭やベルトコンベアの隧道跡もあった。坑口跡も近くに残っているようであるが、現在は草藪により道が阻まれていたため、見学することは叶わなかった。
烏帽子坑跡は、道路沿いの見晴らしの良い展望場所より海上にある坑口を見ることができ、天草氏指定文化財や日本の夕陽百選にも選ばれている場所である(図6)。烏帽子炭鉱は明治30年頃に創業した海底炭鉱であり、良質な無煙炭を産出していたが、湧水に悩まされ数年で事業が停止したそうである。坑口は赤レンガにより構築されており、100年を超える今でもその姿を留めている珍しい海底炭鉱跡である。
図2 天草陶石の採掘切羽において |
図3 天草陶石の貯鉱場 (天草陶石採掘現場) |
図4 﨑津教会 | 図5 ホッパーの残骸(魚貫坑跡) |
図6 烏帽子坑跡(海上に坑口) |
最後に、天草下浦石の建造物、採石場、丁場の視察を行った。下浦石は軟質砂岩であるため、風化の脆く表面剥離を起こしやすいものの、切り出し・加工が容易であり、緻密できめ細やかな石肌の美しさや石の白さが美しいなどといった理由から石造物や建材として使用されてきたそうである。祇園橋も下浦石を使用して天保3年(1832年)に建造された石橋である。柱状の石を組み合わせた素朴なつくりで、橋脚は水切りのための三角形の流線型になっている。国指定重要文化財にも登録されている建造物であるが、現在は橋の一部の石材が抜け落ちており、橋を渡ることはできなかった。
下浦石の採石場では、下浦石を採掘している岩壁を見学した(図8)。岩壁を触ってみると、表面が風化の影響で簡単に剥離され、内側には白く輝く下浦石の原石が確認された(図9)。また、下浦石の石切り丁場には、かつての丁場小屋の石柱が残存していた(図10)この石切り丁場は海岸に近く、出荷に便利であったと思われる。
今回の現地検討会は、天草の歴史とともに陶石や下浦石といった石文化について学ぶことが多くあり、有意義な検討会であった。
図7 天草下浦石を使用した石橋の風化状況の視察(祗園橋) | 図8 下浦石の採石場 |
図9 下浦石の原石の視察 | 図10 下浦石の石切り丁場の視察 |
(文責:九州支部 九州大学・濵中晃弘)